【46期生】6月10日は時の記念日 part.2

7/02/2019 大阪府時計高等職業訓練校

ひとそれぞれ想いも思うことも違います。
それはそれで生徒も講師も物事を調べてまとめて考えるキッカケにもなります。



日本人の時間に対する意識について

令和元年六月十日、近江神宮で行われた漏刻祭に参加した。
時の祖神に感謝を捧げ、時計や舞楽の奉納が粛々と執り行われ、それは忙しない日常とはかけ離れた悠然とした時が流れているように感じたものである。
さて、そこで疑問に感じたことは、現代における日本人の「時」に対する厳格さはいつから、また、どのようにして広く浸透するようになったのかである。
 
江戸の終わり、ある外国人の日記には日本人が時間を守らないことをぼやく記述があったという。それに対し、近年では日本の鉄道の正確さなどを挙げ、日本人の時間への意識が非常に厳密であるということは、世界でも広く知られている。今日までに、日本人の「時」に対する意識がいかようにしてここまで大きな変貌を遂げたのだろうか。
 
日本において、時の歴史は671年天智天皇が設けた漏刻から始まる。貴族たちの平安時代を越え、武士の時代になると漏刻の記録は途絶え、その後、江戸時代には西洋から機械式時計が伝来し、それは日本人の生活に合わせて改良され和時計となる。この頃まだ時計は庶民の生活に馴染みがなく、城などで鐘や太鼓を用いて報時するだけであったため、多くの人びとにとっては太陽の向きや建物の影の動きなど、自然現象が時刻を知る目安になっていたのである。それに起因して、江戸時代の日本にける時刻制度は日の出と日没を基準とした不定時法が取られていた。つまり、季節によって変動する一時の長さに順応する柔軟性があったとも言えるだろう。よって、この時代における日本人の「時」への意識は、非常に大らかなものであったと予測できる。
 
明治時代に入り、様々な文明が発展すると同時に、季節によって一時の長さが変わる不定時法は人々の生活に支障を来すことになる。1873年、政府によって不定時法は西洋の定時法へと改められ、時刻を知る手立てとして機械式時計が広く知れ渡った。さらに、日本人が「時」に対して向き合うきっかけとなったのは、鉄道と郵便制度の変化によるものと考えられる。それらは、鉄道の運行計画や時刻表、郵便において輸送物の送達時間の遵守など、庶民の生活に時刻という概念を強く印象づけることになった。
 
大正時代には、日常の生活改善の一つに時間を正確に守ることという項目を挙げ、「時」展覧会が開催された。その展覧会は好評を博し、多くの日本人が「時」の大切さを意識する転機となったと考えられる。おそらくこの頃から徐々に、日本人の時刻に対する厳格なまでの意識の高さが構築されてきたのであろう。
 
近年では、交通や郵便などの生活インフラに加えて、公的私的にも関わらず時間厳守が付きまとう。街中や駅構内で忙しなく行き交う人々は一様に「時」に翻弄されているようにも見える。現代社会における時間に対する意識の高さはもはや執着とも言えるだろう。日本人にとって「時」とは、ただ正確に区切られた時間でさえも、仕事や学問、対人関係において重要な役割を果たすツールなのではないだろうか。