【45期生】管外研修は視野裾野を広げるとき
研修二日目の朝がやって来ました。
宿泊した旅館の窓外からは雄大な諏訪湖が目の前に見え最高のローケーションでしたが、しかーし、♪ながのーは今日もー雨だーたー♪。誰ですか?雨男は!
そんな雨の中、諏訪湖畔を後にしてバスで十分位の所にある時計ミュージアム「儀象堂」にお邪魔しました。
水車を利用して水を動力源に動く天体観測時計です。高さは12メートルもあり、その大きさにまず一同圧倒。そして当館で解説員をされている宮坂護さんからこの時計台の動力機構を詳しく生徒たちに語って頂きました。
巨大水車である枢輪と呼ばれる先端に36個の水を溜める受水箱があり、そこに龍の口の先端から常時一定量の吐き出される水が注ぎこまれます。鹿威しの如く箱が一杯に満たされるとその箱を止めていた「止め二股」と言う天秤棒が外れ箱1個分水車が動きます。その一つの動作の中に関舌、天衡、左天鎖、天関と言うからくり機構が連動して巨大脱進機として正確なリズムを刻み、その時間時間の人形達が時刻を表示してくれるのです。この時計システムの上には連動している渾象(星座が刻まれていて夜の時間や季節の変化を知る事が出来る天球儀)や最上部の櫓には渾儀(天文台)も備わっています。
この時計台が何と約900年前の中国北宋時代に作られていたとは驚きです。
中国にはもう壊されて無くなってしまいましたが、京都大学・セイコーエプソン・下諏訪町の三者が連携、御尽力されこの地に再建されたのです。
解説をして頂いた宮坂さんは以前、セイコーエプソン社にお勤めされておられ様々な時計内部の動力機構の設計をされていた方です。あの名機ロードマチック(1960年後期から70年半ばにかけ発売された56系名ムーブメント搭載の自動巻き時計。色バリエーション豊かな文字盤とそれを覆うカットガラスが放つギラギラ感は当時の時代背景を映していたと思います)も設計されたとの事。有難い事に、その当時の貴重な御苦労話等お聞き出来ました。
その他、館内の展示物では時計発展史でエポックメイキング的な役割を担った時計達(その中に東京オリンピックで使われた世界初の卓上型水晶時計もありました)やアンティーク時計等が所狭しと飾られています。
また子供にも時計のしくみが解り易く理解出来る様に工夫された展示物を作っておられ、生徒も実際に手でハンドルを回し動く脱進機等を見て、授業で分解・組立や座学で学んだ事がより具体的に理解できたのではと思います。
そして一行が次に向かったのが伊那市にある静かな佇まいの公園に隣接している登内時計記念博物館。
中に入ると眩暈がする程の絢爛豪華な時計達が整然と陳列されています。
和時計もあるのですが、何と言っても18世紀から20世紀にかけてのヨーロッパの置時計や柱時計の充実ぶりは凄いの一言!
特にフランス製の物は時計周辺の装飾が凝っていて、元来時計と言うのは時刻を知らせる機械では無く、高級装飾品であったと言う事を再認識いたします。
また面白時計も色々あり、19世紀後期にイギリスで作られた「移動ボール置時計」は振り子の代わりにボールが溝に沿って転がる仕組みでEテレのピタゴラスイッチに出てきそうな奇想天外な時計でした。
スイス製の物ではブレゲ社の世界に一つしか無いという貴石をふんだんに使った貴重な置時計がありました。下世話な大阪人で申し訳ないのですが、「いったいこの時計いくらするんやろか・・・!?」と脳裏をよぎります。
数台置かれていたルクルトの高級置時計アトモス(周囲の気圧、温度変化で膨張・収縮する特殊シリンダーのエネルギーを利用してゼンマイを巻く超々エコ時計)さえも彼らの前では「この小童が!」と呼ばれている感がありました。
またこの博物館の素晴らしい所はこれら古の時計達約300点が全て稼働しているんです!これはひとえに当館内のラボ(補修室)でスタッフの方が常時調整されているからなんですね。そのラボがガラス張りで見えるのですよ。学生達もどんな道具使ってはるんやろか?とか興味津々でした。
この日は有難い事にそのスタッフの方にこれらの時計の構造や調整の方法とかをお聞きする事ができました。また帰りの際には当館を出た所に「カリヨン塔」と言う鐘を連ねた塔があり、それを我々の為に曲を鳴らして頂きました。
後ろ髪を引かれるように博物館を後にして、バスに揺られながら充実した心地よい疲れの中、一行は無事に大阪に戻って参りました。
最後になりますが、「儀象堂」と「登内時計記念博物館」のスタッフの皆皆様には大変お世話になり誠に有難うございました。
学生達にはこの管外研修がかけがえの無い見聞になった事でしょう。